彼女が、それはもう嬉しそうに。
花のように笑うから。
◆
上司の小言を躱し、今日も定時で上がる。昼はすっかり春の陽気を取り戻し温かくなってきたが、それでも未だ暗くなるのが早い。まだ6時だというのに街灯が街を明るく照らしている。
「よろしくお願いしまぁす」
「あぁ、どうも…」
その街灯の下で寒々しい格好をした女性達がティッシュを配っている。媚びを売るような舌っ足らずな口調に少なからず嫌気が差したが、自他共に認めるやる気のない表情のおかげでそれが表に出ることはなかった。
(女子高生というのは、やはり苦手だ…)
後頭部をガリガリと掻き、内ポケットに手を伸ばす。目的の物に当たるとそれを一度取り出すが、その手を止める。そしてたっぷり逡巡した後、元に戻す。
何に気合いを入れているつもりか襟を正すと、自宅へ帰るにはやや遠回りになる路へ足を伸ばした。其処は住宅街で、駅前のような賑わいはないが確かに人の明るさが通う場所だ。
そんな中に目的の場所はある。
茶を基調とした可愛らしい家。
1階には全面硝子張りの、開放的な花屋が併設されている。家主が愛情込めて育てた薔薇のアーチや、季節ごとに分け植えられた花々がここへ訪れる者達を迎えている。
入り口からは見えない、家の向こう側にはハーブ園がある。そこで育ったハーブでつくったお手製ハーブティは不眠・疲労に効能があり、ここの生計を支えると言ってもいい程好評だ。無論その効能は実体験済みで、今では立派な常連客だ。
しかし高遠が癒されているのは、何もハーブティの効果だけではない。
そこの家主あっての効果だった。
アーチをくぐり抜けるとすぐ、水撒きをしている少女の姿が目に入る。キラキラと光に反射する水を撒く姿は、仕事というより遊んでいるという表現の方が合っている。花を愛でるように話しかけながら水を撒いていく彼女がようやく高遠を視界に入れると、一瞬固まり、そして耳まで一気に紅く染め上げた。
その様子に口元が緩むのも隠さず、真っ直ぐ彼女に近付いた。
「やあ、。楽しそうだね」
「!たっ、たたた高遠さん!?いつからそこに!?」
「たった今着いたばかりだよ。
「…高遠さん。その質問、ちょっと意地悪です…」
冗談めいて言った言葉に、は頬をぷくっと膨らませる。その姿が可愛くて、思わず笑みが零れる。それを笑われたと勘違いしたのか、更に拗ねたような表情になってしまった。
「ああ、いや、すまない。笑った訳では…」
「…」
すぐに謝るが…こうなってしまったは言葉でどうこう言っても、すぐに機嫌は直らない。参ったな、と独りごちて後頭部を掻く。すると肩越しにこちらを見たが、恨めしそうな表情を向けた。
「それで、今日は何のご用ですか?」
「(やはりまだ怒っているか…)いや、特に用という用はないんだが…」
「?」
恨めしそうな表情は怪訝なものへと変わる。また拗ねられては堪ったものではないと、慎重に言葉を選ぶ。だがこんな時にうまく言葉が出てくれば、高遠はとっくに出世街道を歩いている。
(参ったな…)
間を置きたくて後頭部を掻く。その間じっと待っているのいじらしさに、抱きしめてやりたい衝動に駆られる。それをすんでの所で抑え、結局拙い言葉を吐きだした。
「少し、顔が見たくなってね」
「え…」
目が大きく開かれる。
そして頬を紅潮させたと思うと、ホースの先を上下に揺らした。水がこちらに掛かることはなかったが花にも掛かっていない為、照れを誤魔化すようにしているのが容易に想像できた。
機嫌が直ったのは結果だ。
無論先程言った言葉は嘘ではない。
上司の小言。
路上でティッシュ配りをしていた女性にあって感じた不快感。
無意識に。
会いたい、と思ってしまった。
普段は恥ずかしくて遠慮したくなることも、彼女に喜ばれるのなら…と実行してしまう時がある。
(真鶴や來多川君には見せられない姿だな…)
そう苦笑すると、ふと腰の辺りに重みを感じる。ぎこちなくそちらを見ると、が胸の辺りに顔をうずめている。手放したホースで空いた手は小さく震え、腰に回されている。それを離そうという気にはなれず、左手は背に、右手は彼女の髪に添える。
柔らかな髪をそっと撫でると、手の震えはおさまり、代わりにと僅かばかり力が込められる。
それが愛しくて。
彼女に覆い被さるように、力の限り抱きしめる。
「た、高遠さん…っ」
「すまない。あと少し…」
「…っ、はい…」
君の笑顔が見たくて。
ちょっと遠回りをして帰る。
「参ったな」と「すまないね」が口癖の三十路間近。
若い彼女に悶々してるとイイ。すごくイイ!
09/04/27 執筆