もし貴女が人間でも、妖怪でも。


 そばにいたいと思ってしまうのです。










〔 風邪の熱、それとも君の? 〕








 暦の上では冬。
 雪こそ降らないものの、久彼山も稀に見る寒波に襲われていた。
 体を芯から冷やすような強風の中、はそれに逆らうように歩いていた。


「さ〜〜む〜〜い〜〜っっ!!」


 向かい風に髪が乱れるが、直しても意味は無さそうだ。両足に力を込め、ただでさえ労力を要する坂道を登っていく。

「ううう、こういう時この坂道が本当に憎らしい…」


 頭を下げ脇を締め、できるだけ体を縮め進んでいって。ようやく店の前に辿り着いた頃には汗だくになっていた。今にも壊れそうな戸を開いて中に入ると、手鏡を覗いて髪を整える。
 ややひんやりとしている店内も、上気した頬にはとても心地よい。
 厚手のコートを脇に抱え、相変わらずガラクタばかり収められている本棚の間をすり抜けていく。
 すると少し開けたところで、最愛の人が笑顔で待ってくれていた。


「座木さん!」
「いらっしゃい、。外は風が強かったでしょう?」
「凄かったです。髪の毛なんてこう…グォーッと!」

 強風の凄まじさを表現しようと大袈裟に動くと、彼の目が優しげに細められた。

「では体も冷えているでしょうから、温かい紅茶を入れますね」
「わぁ、ありがとうございます!」


 さり気なくの荷物を運んでいる辺り、やはり座木と言ったところか。
 そういう動作が様になっているのだから、何とも言えない。最初の何度かは自分でやると抗議したのだが、いつの間にか話が流されるのが常。
 今では諦めているというのが正しいかもしれない。

 座木の後を追って入ったリビングには、秋が全身の体重を預けるようにソファに座っていた。両手を天井の方へ真っ直ぐ伸ばし何をやっているのかと目を凝らせば、手元には<知恵の輪>が握られている。
 カチャカチャとそれを弄る表情は、楽しそうともつまらなそうとも取れない、無表情に近かった。
 そしてその向かいに座る赤髪の少年リベザルは、の来訪に頬を紅潮させた。


さん!」
「やっほー、お邪魔します」
「あれ、また来たの?」
「(今気付いたのか…)……お邪魔してます…」


 手元から視線を移すことなく、「んー」と無関心そうな声を漏らす秋。それとは対照的に嬉しそうに駆け寄ってきたリベザルの頭を抱きしめ撫でる。

「ほんと、リベ君は良い子ねぇ」
「へへへっ」
      言っとくけど」
「リベ君はあたしよりも年上って言いたいんでしょ?もう耳タコですぅ」
「それは失礼」


 思ってもいないくせに畏まる秋を思い切り睨め上げるが、相変わらず視線が通わず効果は無い。渋々リベザルから体を離し、彼の座っていた席の隣に腰掛ける。
 長いやりとりの間に準備が整ったのか、良いタイミングで座木がキッチンから出てくる。

「座木さん、今日のお菓子は何ですか?」
「今日は季節の果物を使ったタルトを用意させていただきました」
「タルト!あたし大好きっ」
「ありがとうございます」

 嬉しそうに目を細めると、彼は切り分けたタルトを各々の前に並べた。
 その流れるような動きを目で追っていると、手前に引いた座木の腕が一瞬ポットを掠めた。

「あ…」

 ポットの中身は零れることはなかったが、蓋は外れコロコロとテーブルの上を転がった。
 それを拾い上げポットに填めると、座木は申し訳なさそうに微笑んだ。


「すみません、ありがとうございます」


 その笑顔に力がない。
 や、謝ってるのに眼力込められても困るんだけども……そうじゃなくて。


「あのー…座木さん、もしかして」
「?」
「具合、悪いんですか?」


 顔色を窺うように、恐る恐る問うてみる。座木は驚いたように目を見開いて、こちらを真っ直ぐに見つめていた。彼の誠実さを象徴する漆黒の瞳は、熱のせいだろうか…少しばかり潤いを帯びていて。
 具合が悪いかもしれないというのに不謹慎かもしれないが、色気すら漂っているように思えた。

 一時停止のボタンを押されたようにピタリと動きを止めた秋と、大きな瞳を更に大きくして驚いているリベザルの目が座木に集中する。


「兄貴、そうなんですかっ?」
「あ、いや、大したことはないよ。少し熱っぽいくらいだから」
「でも風邪は引き初めが肝心だって言いますよ?」
「そ、そうですよねっっ!かかか風邪薬を飲んで、すぐに寝た方が……あっ、でも、何か食べてからじゃないと薬って…!」
「うん、リベ君…落ち着いて?」


 隣のリベザルの背を数回撫でてやると、彼も落ち着きを取り戻したようで何度か深呼吸を繰り返す。
 それに苦笑いを浮かべていると、正面の秋が徐に立ち上がった。

「どれ、それじゃ何か調合してやろうか」
「何かって何よ、何かって」
「風邪薬に決まってるだろ、馬鹿だなぁは」
「何をーっ!?」
「うるさい。リベザル、手伝え」
「お、俺ですか!?」

 いきなりの指名にリベザルが飛び上がる。嬉しさに目をキラキラ輝かせているけれど、秋から帰ってきたのは明らかに冷たい反応だった。

「お前以外にリベザルがいるなら、そいつに頼もう」
「う゛。……実験台じゃないですよね?」
「お前も馬鹿だな。風邪薬の実験台なら、風邪ひいてる奴を実験体にした方が意味があるだろ。…ザギ」
「はい」

 ついでに言ったように零した自分の名を拾い、座木は姿勢を正す。こう言うところを見ると、座木は本当に秋を尊敬しているのだろうということが読み取れる。
 秋が何でもないかのように、肩を回しながら言った。


「熱が上がって体力が落ちては薬も効きづらい。変な味の薬を飲みたくなかったら、原型に戻っておくように」
「!し、しかし秋…」
「異論ハ認メマセン。行くぞリベザル」


 そう言って秋は一度伸びをした後、薬種などが揃っている部屋へと姿を消した。その後を追うようにリベザルもリビングを出て行く。
 その姿が見えなくなるまで見送って、は座木に向き直った。

「と、とりあえず座木さん。部屋に戻りませんか?」
「あ、いえ…その前にここの片付けを…」
「そんなことあたしがやっておきますからっ、座木さんは少しでも休んで下さい!」
「しかし……、…っ!」


 座木の体がぐらり、と傾く。




         座木さん…ッ!?」



 そのまま、座木の意識は静かに遠退いていった。


















(…ここ、は…?)

 ぼんやりとした意識の中、座木は重たい瞼をうっすらと開いた。ぼやけた視界の中に見慣れた天井が見える。


(ああ、ここはリビングですね…)


 上手く回転しない頭を稼働させ、記憶をたぐり寄せる。確かさっきまでとリビングにいて、秋に原型に戻るように言われて…。
 片付けをしようとして、………そこからの記憶がない。

 どうやらあの後意識を失ってしまったようだ。少しずつ温まってきた頭が、思考回路を円滑に回し始めた。


(そういえば、は…)


 会話の途中で倒れて、さぞかし驚いたに違いない。身を起こそうと身動ぎすると、頭上から短い声が漏れた。何事かとそちらへ顔を向けると同時に、後頭部に柔らかい感触が当たった。


「気がつきました?」
「…?」
「はい。大丈夫ですか?」


 心配そうに潤んだ瞳と視線がかち合う。
 瞬間、今自分が置かれている状況を理解した。


「す、すみません……っ!」
「あ、そんな急に起き上がったら!」


 そう言うが早いか、座木を眩暈が襲う。脳が揺れているような気持ち悪い感覚に、座木は一瞬動きを止めたかと思うと再びソファに倒れ込んだ。
 戻ってきた後頭部の柔らかい感触は、の脚だ。先程汗だくで暑いと言って中に穿いていたジャージを脱いでいたから、タイツ1枚で肌を隔てているものの、より一層彼女の柔らかさを感じやすくなっている。
 恥ずかしさに顔を背けようにも、彼女の脚に頬をあてる体勢になってしまう。座木は身動ぎできず、瞼を落とした。


「す、すみません…」
「いいえー。熱、上がっちゃったみたいですね」
「そう、ですね…」


 確かに先程よりだるく感じる。これは早く部屋に戻って休んだ方が良いだろう。けれどこの身動き一つ取れない状況をどうしたものか…。

 無論膝枕が嫌なわけではない。むしろ愛おしい少女の柔らかい感触に触れることができること自体は大歓迎なのだが、何分状況が悪い。熱に浮かされ、何をしてしまうか分からない状況で、この体勢は色々まずいことになりそうだ。
 しかしながらこの機会をみすみす手放してしまうのも何だか惜しいような気もする。


(こんなことを考えている時点で、もう危ういような気もしますが…)


 座木は大きく深呼吸した。それと同時に上から遠慮がちに短く放たれた声に、耳が咄嗟に反応する。


「あ、あの座木さん。さっきの秋じゃないですけど…、もし辛いようならその、元の姿に戻っても大丈夫ですから」
「…ぁ」



        変な味の薬を飲みたくなかったら、原型に戻っておくように。



 秋はそう言った。確かに体調不良の時に原型に戻ると、痛みやだるさがかなり軽減される。これは人間の姿を保つ労力を使わない分、楽だと感じるのだろう。


 …けれど。

 反応に困って沈黙を守っていると、頭にふわっとした柔らかな感触を覚えた。愛おしむように優しく撫でられている。その感触に瞼を閉じると、優しい声が降りてきた。


「もしかして、あたしに元の姿を見られるの、イヤ…ですか?」
「…そんな、ことは…」


 そんなことは、…あるのかもしれない。

 座木ら三人が妖怪であることは、には既知の事実である。今更怖がられることも驚かれることもないのだろう。
 けれどもしかしたら、と考えてしまって。
 そんなことを考えている時点でを信用していないようで、その度に自分に嫌悪感を抱く。


…)


 彼女は自分の原型を見て、どのような感想を抱くのだろう。
 知りたいようで、知りたくない。そんな矛盾が自分の中を駆け巡って、グルグルしている。ここらでそろそろ殻を破ってみようか。


(こんな気分になったのはいつ以来でしょうか…)


 そんな自分に苦笑し、座木は瞼をゆっくり持ち上げた。視界いっぱいにの顔を収める。クリクリと真ん丸にした瞳をこちらに向け、座木の言葉を待っている姿は今すぐにでも抱き寄せたくなるほどだ。


は、」
「はい」
「動物は、好きですか?」
「動物、ですか?はい、大好きです」
「そうですか」


 その応えに安堵し、座木は重い体をゆっくり持ち上げた。労るように背に添えられた小さな手をさりげなく取り、熱のこもった熱い両手で包むと、まるでその熱が移ったかのようにの頬が赤く染まった。

 それに頬を緩めると、座木は全身の力を抜いた。

 すらりと伸びていた腕や脚はするすると縮んでいく。いつもより高めの体温を感じさせた手は から離れ、幾重にも重なった服の中にあった。
 服の下にある体は、髪の色と同じ黒だ。
 このまま隠れていたいような気持ちを無理矢理押しやり、襟から頭を出す。艶のある漆黒の毛に覆われたその体は、小さな狐のような風貌で。

 姿勢を正すように前足を揃え、の前に座った。
 熱に潤んだ瞳で見つめると、彼女の相好が崩れた。そして腕が伸ばされたかと思うと、先程と同じ柔らかな手が頭を撫でるのを感じた。


「可愛い、ですね。狐みたい」
「リベザルにも同じことを言われたよ」
「フフ」

 は座木の両脇に手を入れると徐に抱き上げ、自分の膝の上にゆっくりと下ろした。先程は後頭部だけで感じていた感触を、全身で味わうこととなって思わずキョロキョロしてしまう。
 その様子に微笑んだは、座木の頭から尾へのラインに沿って優しく撫でていく。その気持ちと温かい手に、つい心地よさを感じて目を瞑る。


「少しは楽になりましたか?」
「…うん」


 いつもの畏まった口調は抜け、少し砕けたような返事。
 それにが嬉しそうに微笑んだのを一瞥し、すぐに視線を逸らす。体が触れている柔らかな肌を意識しないよう撫でる手の温かみに集中すると、原型を受け入れられた安堵感も相まってか次第に眠気が襲ってきた。

 意識を手放さないよう必死に抵抗していると、既に眠ったと思ったのか。
 が小声で、ぽつりと言葉を落とした。



 その言葉が嬉しくて、

 あたたかくて。



 座木は意識を手放した。







        大好き、です」
















 当サイト初の座木夢、いかがだったでしょうか?
 座木さんもリベも原型可愛すぎですよね。撫で撫でわしゃわしゃしたい!こう横に置いて寝たら温かそうですよね。寒がりな亜銀には一家に一匹ずつ欲しい^^

 座木さんから敬語が抜けた瞬間ハァハァするのは私だけじゃない筈。こう、何か認められたというか、信頼されているみたいで嬉しいですよね。ごちそうさまです。


11/01/28  執筆