彼の、突発的な行動や発言に慣れているつもりだったけれど。




「魚が、見たい」
「え、魚?」
「ん…行こう」


 彼は返事も聞かず私の手を引くと、その足で車へ乗り込んだ。







 〔心地よい居場所〕





 全国ツアー・テレビ出演・新曲の収録を終え、久しぶりのオフ。
 昨夜解散前に「家に来て欲しい」と言われた。もちろん断る理由もなく一つ返事でOKした。メンバーがそんな私達を見てニヤニヤしていたけれど、私達の関係はメディア上を通じても周知であったからさして恥ずかしくもない。
 彼の家を訪れるのはこれが初めてではない。…かといって何をするわけでもなく、以前は日当たりの良い場所で一日ボーッとして過ごしたこともある。


 今回もそうなることを予想していたんだけど……。


「ねぇ瑠禾、どこに向かってるの?」
「…水族館」
「す…っ!?そ、そんなところ行って大丈夫なの!?」
「…何で?」
「何でって…」


 私がボーカル、そして彼  葉山瑠禾がピアノを担当するバンド<トロイメライ>は、今や誰もが注目する人気バンド。芸能人として部類分けされる私達が公共の施設に行けば、注目されるのは目に見えている。



(せっかくのデートなのに…)


 なんと言えば語弊なく伝わるか…考え黙り込んでしまった私を一度だけ見て、膝上で堅く握った手に自分の右手を重ねた。突然の行動にはじかれたように顔を上げると、視線は真っ直ぐ前を向いているけれど…ふんわりと微笑んでいた。


「大丈夫。邪魔はさせないから」
「…本当に?」
「信じないなら、それでもいい」
「う…」


 瑠禾は時々諦めたような言い方をする。
 でもそれは私が困ることを見越しての発言であると気付いたのはつい最近…。結局最後に折れるのが私であることを知っている、瑠禾なりの冗談らしい。


(タチ悪いなぁ、もう…っ)

 そう知りつつも折れてしまう私も、かなりの重傷だと思う…。


「信じてるからね…?」
「ん」

 瑠禾は至極満足そうに笑み、交差点を曲がった。







      それからどれくらい走ったか。
 瑠禾の住む高級マンションから三時間、ようやく水族館に到着した。

 水族館内の照明は思ったよりも暗く、帽子を深めに被る程度の変装でもすんなりと入場できた。暗闇の中で淡く光る水槽の中には、普段からよく目にする魚から珍しい深海魚まで…実にたくさんの魚が優雅に泳ぎ回っていた。


「うわぁー…!あ、こっちにはクラゲもいるんだね!」
「ん」


 先程までの悩みは何処へやら。
 小学生の時一度行ったきりテレビでしか見ることの無かった光景に、胸躍らせているのは私の方だ。周りのお客さんに迷惑を掛けないようにと声は抑えているものの、新しい水槽を見るたびにあちらこちらへと駆け回る私に、瑠禾が時々ため息にも似た苦笑を零す。


「あ…っ、ごめんね?一人ではしゃいじゃって…」
「…いい。楽しんでるみたいだから」
「う、うん。すごく楽しいよ!」
「そう?」
「うん!ありがとうっ」


 気分が高揚して、拙い言葉になってしまった。
 けれど瑠禾はやわらかく微笑んでくれた。

 瑠禾の、はにかんだような笑顔を見ると心が満たされていく。
 彼と付き合うようになってからは、それを見る回数がますます増えた。ライブ中やメンバー同士の音合わせの時は相変わらずの無表情で、メンバー内からは一部嫉妬のような声も挙がるけれど。

 それが、彼に特別に思われているようで。


(嬉しい…)


 声の抑揚も口数も少ない瑠禾だけど。

 他のメンバーを見る目とは少し違う、少し潤んだ瞳から。
 繊細ながらも安堵感を得られる笑顔から。
 繋いだ手から伝わる熱から。

 全身から感じられる、瑠禾の    スキ。




くぅ〜。


(…)

 瑠禾への気持ちに浸っていた私を、気の抜ける音が現実へ呼び戻す。今の私は相当間の抜けた顔をしてるんだろうなぁ…と思いつつも音のした方へ目を向けると、相変わらずの無表情を崩さずに淡々と。

「お腹減った…」
「瑠禾ぁ〜…」

 一瞬にして全身の緊張感が抜け落ちる。

(まぁ…そこが瑠禾らしいと言われればその通りなんだけどね…)


「じゃあご飯食べに行く?水族館内にレストランがあるみたい」
「…魚見ながら?」
「ちょっと気が引けちゃうね」
「…ん、行こう」


 手を引かれるまま展望レストランへ向かった。
 四隅と中央に円柱の水槽が立ち並ぶそこは、平日だというのに人が多い。オーダーではなくビュッフェ式となっている為に、味だけでなく目からも楽しめるようになっている。

 タイミング良く空いた、南隅の水槽前に席を取る。
 ここでも淡く光を放つ水槽の中で、優雅に泳ぐ魚…大小様々な水泡にすごく癒される気分だ。


「ここもすごいね…」
「ん。…とりあえず席取っておくから、何か持ってきたら?」
「ありがとう、行ってくるね」


 できるだけ人目を避けつつ料理を盛っていく。

(うーん…少なめにしておこうかなァ)


 特に大食いするわけではないけど、好きな人と…しかもデートに来ているのに、我を忘れて食べてしまっては言い訳のしようがない。というか私が男側だったら、彼女のそんな姿はあんまり見たくない…気がする。
 多少控えめに皿へ盛り、瑠禾の下へと急ぐ。
 人目を気にするのも忘れずくぐり抜けると、瑠禾の姿が目に映る。声をかけ近寄ろうとした途端、視界に違和感を感じた。


(何だろう…?)

 辺りを見回すが特に変わったところは…


    あれ?」


 視界の隅に、見覚えのある頭が見える。派手な赤髪を持つ細身の青年    それはバンドメンバーのギター担当・花咲雅楽に良く似ていた。よく確かめようと目を凝らすがその青年はすぐに見えなくなってしまった。


(…でもまさかガクがこんな所に来るわけないもんね。よくよく考えてみれば赤髪だって今はそんなに珍しいことでもないし、きっと気のせいだよね…?)


 ひとまず安堵し席へ着く。
 まだ昼食を食べてさえいないというのに、瑠禾は目をとろん、とさせている    かなり眠そうだ。

「る、瑠禾…、大丈夫?」
「?あぁ…取ってきた?」
「う、うん」
「じゃあ行ってくる」

 そう言ってフラッとテーブルを離れた瑠禾は、ものの数分で戻ってきた。瑠禾は細身の割に結構な量を食べるもので、皿には肉を中心とした多種の物が盛られていた。
 どちらからともなく食事に手をつけた。
 魚を観賞しながら魚料理を口にするのは少々気が引けたが、一つ口に含めばそれも気にならなくなった。

(美味しい…)


 さっぱりとしたヘルシーな味付けだ。サラダにあえられたドレッシングも油分が少なく、女性に好まれる味付けだ。
 盛った料理の一つ一つに感動していると、ふと正面から視線を感じる。


「…瑠禾?」

 瑠禾は手を止め、観察でもするかのようにこちらを凝視している。自分が食べている姿をまじまじと見られるのは、非常に居心地が悪い…というか単に恥ずかしい。

「ど、どうしたの?…もしかして顔に何かついてる?」
「美味しそうに食べるな、と思っただけ」
「そ、そうかな…?」

 一度目を伏せて肯定する。
 更に私の皿を指差し、

「それ、足りる?」
「え…うん?」
「いつもはもっと食べてる」
「……ぁ」

 デートだから肉にがっつく姿は見せたくなくて魚や野菜中心の料理を取ったけれど…、言われてみれば今更だ。活動中はロケ弁や手作りの弁当を食べるし、ご当地グルメをメンバー全員で食べ歩いている。楽器を演奏するにも歌うにも体力がいる為、普段から少し多めを心がけて食べていることを瑠禾は知っているのだ。

「足りる?」
「…足り、ない」
「うん、じゃああげる」
「え?」

 恥ずかしさで俯いていた顔を上げると、さして気にした様子もなく私の皿に肉料理を移していく。

「え、あ、瑠禾…っ?」
「何」
「それ、瑠禾の…」
「もう食べた。結構美味しかった」
「そうじゃなくって…っ」


「おすそわけ」


 瑠禾のだから、とかそう言うことを言いたかったのに。
 目を細めてやわらかく微笑まれたら、何も言えなくなってしまう。そろそろと皿へ手を伸ばし一つ口に含めば。


「…美味しい」
「そう?」
「うん、こっちも美味しいね」


 瑠禾がくれた料理は、肉料理でありながら酢などを用いてあっさりと仕上がったものばかり。先程のチョイスの意図をくみ取ってくれたらしい。
 その優しさがあたたかくて、思わず笑みが零れる。
 心に余裕ができたからか、先程引っかかったことを思い出す。

「そう言えばさっき、ガクによく似た人を見たの」
「…どこで?」
「向こうの水槽の辺りかなぁ。でもガク、今日は用事があるって言ってたし、そっくりさんだと思うよ?」
「…ふぅん」

 私が指差した方を一瞥すると、瑠禾は思い付いたように立ち上がった。

「瑠禾?」
「………、お手洗い」
「あ、うん。いってらっしゃい」
「ナンパ。気をつけて?」
「ふふ。瑠禾もね」
「ん」

 また柔らかい笑みを残してテーブルを離れていく。人が多いからかすぐに紛れて見えなくなった。瑠禾の皿はデザートまで完食されている。今お手洗いに立ったのも、まだ食事中の私に合わせてくれているのだろう。
 その厚意に応えるため、私はデザート目指して次の皿へ手をつけた。







        一方。


「あーぁ、ちゃん見事に俯いちゃって…。ルカちゃんったら女の子の扱いがなってないねぇ」
「おま…っ、それ俺ンだぞ!」
「雅楽も櫂も少し静かにしろ。悪目立ちしても得はないだろう?」


 入り口付近、水槽の影に隠れオペラグラスを巡る争いを起こした二人を龍が窘める。その言葉に二人は身を縮め周囲を確かめる。全国的に有名なミュージシャンがこんな所にいるのがバレたら、それこそ握手やサインを求めるファンで大混乱になるに違いない。

「つか、何で尾行してンだよ」
「えーだって気になるじゃん。二人がどういうデートしてるのかなーって」
「そ、そりゃ気になるけど……って!べべべ別に俺はそんなんじゃねェからな!俺はルカが心配で…!」
「えー?そんなって何?俺何にも言ってないんだけどなァ?」
「ッ!」
「雅楽、そんな安い挑発に乗るな。櫂も櫂だ、すぐそうやって突っ掛かるんじゃない」
「安いなんて失礼な。……あ、ルカが立った」

 再びオペラグラスを覗き込み、現況を知らせる。

「バレたか!?」
「いや、ちゃんが手振ってるからトイレじゃないかな」
「何だよ、ビビらせやがって」

 髪を一度掻き上げ、手元のグレープジュースを一気に呷る。
 その様子を隠れて笑った後、櫂はオペラグラスを覗き込んだまま口端を綻ばせた。


「にしても今日も可愛いなぁ、ちゃん」
「発言がオヤジ臭いぞ」
「オヤジも所詮オトコノコ、これだけはしょうがないっしょ」
「…最低」
「何だよ。龍だって一緒に覗いてンだから同罪だろー?」
「え?いや、今俺何も言ってないけど…」
「は?」


 胸の辺りで両手を挙げた龍に二人が振り向く    そして…。
 その背後にある人物に、一気に血の気を失う。


「る、瑠禾   …」

 恐ろしく無表情な瑠禾。
 普段も無表情が多い瑠禾だが、それとは何か違う………威圧感を感じる無だ。


「は、はぁい、瑠禾」
「ノゾキなんていい趣味持ってるね     ガク」
俺だけかよ!そもそも今回のこと計画したのは櫂だっつの!」
「同罪」

 情状酌量の余地はなく、スパッと切り捨てられる。
 ぐっ、と声を詰まらせると、一触即発の雰囲気を崩すように隣から恐る恐る声を掛けられた。


「あのォ、トロイメライの方々ですよね?あたし大ファンで…よかったらサインして頂けませんか?」

 きちんとマナーを守っているファンだ。無理強いや、大きな声で確認することもない彼女に好意を持ったが、今はそれどころじゃない。ここはやんわりと断るしかない……と思ったのだが。


「一人?」

 珍しく瑠禾が前に出る。彼女も予想外だったらしく頬を紅潮させ、何度も首を振った。

「い、いいえっ、友達と…ッ」
「…そう」

 各テーブルにおいてあるアンケートボックスからペンを抜き取ると、彼女の持っている手帳にスラスラと書き始めた。そして書き終えるとテーブルにペンを静かに置き、彼女に一言。


「…じゃ、よろしく」

 そう言い残し、自分の席へ向かっていった。

「今の、何だった訳…?」
「さぁ…」


 呆気にとられていた、その直後。





「ねぇ、アレってトロイメライじゃない?」


 先程好意的な反応を見せていた彼女が、友人の肩を叩き大声を挙げた。友人もファンなのか目を輝かせ、勢いよく立ち上がった。
 ここから先は、それはもう      転がり落ちるように。


「キャアアア!!あたしガクの大ファンなの、サインサインー!!」
「え、なに?トロイメライ?」
「嘘!どこ!?」
「私も私もー!」


 あっという間に三人はファンに取り囲まれてしまった。プライベートとはいえ強気に出られない三人は苦笑を零し、渋々サインを引き受けていく。しかし人混みの隙間から、先程の女性が手を合わせ謝っている様子を見つけると状況を察し。


(((     やられた…ッ!!)))







 ◆






「遅かったね、瑠禾。混んでたの?」
「ん。…食べ終わった?」
「あ、うん。デザートも三つ食べちゃった」

 私が照れながらそう言うと、一瞬目を丸くした後クスッと笑った。
 そして私の手を掬い上げると、軽く引いた。

「…行こう、静かなトコ」
「うん、そうだね。少し人も増えて賑やかになったもんね」
「ん」


 会計を済ませて向かったのは人気の少ない展望休憩所。
 水槽が無いどころか屋外に出てしまっている。風がある分、屋内よりは心地よいけれど…。


「瑠禾、魚はもう良いの?」
「…ん、こっち」

 扉からは死角となるベンチに腰掛け、隣をぽんぽんっと叩く。


(座れってこと…かな?)

 そこへ腰掛けると、瑠禾の体はぐらりと傾き…。


「…って、エェェエエエエ!?


 突如として意識する膝の上の重み。
 柔らかな癖毛がくすぐったくて身動ぎすると、居心地悪そうに膝を掴んだ。

「キャッ…」
「動かないで」
「だ、だって…」

 困ったように(否、実際困ってるんですけど!)そう言えば、膝の上で寝返りを打ち…


「え、ちょ…っ!」

 寝返りを打ったことで瑠禾の顔がこちらを向く。更に抱き寄せるように長い腕を腰へ回し、擦り寄せながら顔をうずめる。


(わ、わ…っ)


 瑠禾の行動は何ら深い意味はなく、抱き枕としていい抱き心地…という程度。付き合う前に…まぁ、その…いろいろあって一緒にベッドで寝たときも「ウチのより良い」とか言ってたし…。
 ただそれは彼にその気がないだけで、こういう接近されるとどうしても意識してしまう。

(私、いやらしいのかな…)


    真っ赤」
「!」
「可愛い」


 屈託のない笑顔でそう言われ、耳まで熱くなっているのが分かる。慌てて両手で顔を覆うと、すらりと伸びた手がそれを外した。恥ずかしさに歪んだ顔を下に向けると、拗ねたように頬を膨らませた瑠禾が視界に入った。

「見えない」
「だ、だって瑠禾…っ」
「だめ。それは俺の」


 何が、と。
 問おうとするより早く。



「照れた顔も、笑った顔も、泣いた顔も        全部俺の」


 伸びたままの手が頬に添えられ、優しく撫でる。


「ガクにも、カイにも、リュウにも…渡さない、絶対に」

 それは瑠禾が見せた独占欲。
 強い意志の宿った瞳を吸い込まれるように見つめていると、楽しそうに微笑んだ。


「だからも、俺の前では構えないでほしい」
「瑠禾…」
「哀しいときも楽しいときも、さっきみたいに恥ずかしいときも。そのまま言って?」
「…うん」


 瑠禾の想いが嬉しい。普段こうした想いを言ってくれる機会は少ないけれど、それでも妙な意地を張ったりする人ではないからたまにこうしたことを言ってくれる時がある。その度私の心は瑠禾に満たされていく。

 嬉しさに顔を火照らせたままゆっくり頷くと、満足そうに微笑んだ後小さく欠伸を零した。


「瑠禾。さっきも眠そうだったけど、寝てないの?」
「んー…」
「最近は演奏に専念してたから、徹夜で作曲…って訳じゃないよね?」
「…」
「え?」


 首を傾げると、腰に回された腕に力が込められる。


がいないと、眠れない」

 そう言う瑠禾は本当に子供のようで。
 柔らかな髪を撫でると、くすぐったそうに目を伏せる。


「でもお気に入りの抱き枕、あるんじゃなかったっけ?」
「…もうダメ」
「え…」
「これじゃないと…」

(これって…)


 頬を寄せるは私。
 確かに抱き枕にされることはあるけど、でもそれは仕事が早く終わって瑠禾の家に寄ったときか泊まったときだけ。


「普段はどうやって寝てるの?」
「………寝てない?」
「えぇええ!?」


 疑問に疑問で返す瑠禾。作曲に集中している間も睡眠は疎か、食事さえまともに摂らない瑠禾だ。慣れていると言われれば慣れてるんだろうけど…。
 初めて聞いた驚愕の事実に絶句していると、瑠禾は事も無げに続ける。



「だから」
「ん?」


「だから、ずっと隣にいて?」



      ずっと。
 その言葉を聞いて、退いていた羞恥心が再び戻ってくる。


「る、る、瑠禾…っ」
「ん…?」
「それって…」


 プロポーズみたいだと、震える唇でやっと言うと。

 少し考える表情を見せた後、ふと微笑み。



「うん、それでもいい」



 その一言で耳まで真っ赤に染め上げ硬直する私を抱き寄せたまま、瑠禾は眠りに落ちていった。













携帯アプリ「恋人はミュージシャン」より葉山(はやま)瑠禾(るか)
メンバーに宇宙人と称される彼に、もうすっかり虜です。


 09/03/12  執筆